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先週末に封切られた劇場版「傷物語 Ⅰ 鉄血篇」を観てきました。

観覧直後には少しツイートしましたが、字数に制限があるので詳しいことはここ(ブログ)に記します。

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観覧前までずっと、この映画に対するイメージというのは、テレビ放送された「化物語」第1話に登場するフラッシュバックされる過去の回想シーンのような、おそらくあのような暗く静かな展開が続くんだろう・・・と考えていたのだが、まったく違っていた。

<圧倒的カタストロフィ>
映画の冒頭は恐怖の描写から始まる。阿良々木暦がエレベーターの扉から出てきた瞬間からだ。ひどく息切れしていて、汗びっしょりの阿良々木。しかし原作にこのような恐怖の描写はない。原作(西尾維新『傷物語』講談社)では静かにその場を立ち去ろうとしているフシさえあるのに、どうしてこのような恐怖と焦りの描写になったのか。

混乱する阿良々木は、夢野久作『ドグラ・マグラ』の冒頭のシーンのようだった。精神病棟で目を覚ました主人公が自分の状況を把握しきれずに狂うシーンだ。2日前に自分の命を捨てたはずの阿良々木が、2日後に目を覚ます。知らない場所で、しかも横には幼女が寝ている。阿良々木は「傷物語」で語られる日々を後に「地獄」と総括しているが、なるほど淡々と語られている原作にこのような演出を加えることで、恐怖に満ちた日々をうまく引き出している。


2日後に目を覚ました阿良々木が恐怖に駆られ階段を駆け上がり、日光を浴びて燃え上がるシーンはさらに衝撃的だ。絶叫しながら体が燃えるショッキングな描写。ビルからの落下シーン。果たしてテレビ放送できるんですかね? 原作だとたった1頁程度の情報量しかないのだが、劇場版では効果音のものすごさも相まって、衝撃的だった。


原作を順になぞっていくのかと思ったが、アバンでまずこのシーンを持ってくることで、地獄の日々を強く印象づけることに成功している。決して羽川のパンツを見たラキスケな阿良々木が、冒頭ではない。阿良々木にとっては人生最初にして人生最後の危機であり、人外に生まれ変わった最初の産声でもあるのだから、TV版では見られなかったような圧倒的なカタストロフィがそこに起こるはずなのだ。



<真っ白な地下鉄空間>
それと関連して、瀕死のキスショット・アセロラオリオン・ハートアンダーブレードに遭遇するシーンにも圧倒的カタストロフィの演出は用いられている。まず舞台を地下鉄のホームに選んだところが素晴らしい。真っ白い空間に赤い血が存分に撒き散らされている。原作だとアスファルトの上であり、室外である。ここを地下鉄のホームという異空間に仕立てたことで、阿良々木は自分の意志で行くべくして行った、呼ばれるべくして呼ばれたんだと納得できる。駅構内の標識に映っているSOSのモールス信号は、キスショット自らが放っていると同時に、阿良々木の心の中に鳴り響いている人生最大の危険信号というダブル・ミーニングが込められているのだろう。

映画を観る前、キスショットの神々しさをどう表現するのか期待していた。原作だと電気がすべて消えた野外で(唯一、街灯が1つだけ彼女を照らしている)断末魔の叫びをあげるキスショットだったが、実際には真っ白の空間で四肢をもがれたキスショットが血だらけになって「赤ん坊のような」泣き声をあげている。このシーンは、極限の体験をしている阿良々木自身の心象表現として受け取った。極限の体験をしているときは、すべてが明るく見えるものである。神々しさなどよりも大切なのは「異常性」であり、それに巻き込まれてしまった当事者としての阿良々木暦だろう。あそこで阿良々木暦の人生は終わるのであり、殺される。そのことを彼も自覚している。彼の脳内を劇場版はうまく表現していたと思う。


さらにこのシーンは吸血鬼にとっての捕食ではなく「性行為」に近いことが原作で暗示されている。キスショットの豊満な胸といい、血を吸う描写といい、セクシャルな要素に満ちていた。キスショットは決して、餓えた蚊のように血を吸ってはいないのだ。



<羽川翼の怪>
劇場版での羽川翼は、よく動いた。よくにやけたし、よくあざとく笑った。こんな表情豊かな羽川はTV版では滅多に見ない。劇場版の羽川はどこか、阿良々木を(異性として)誘っているような節すら感じる。高校正門前で出会ったのは決して偶然ではないのかもしれない。風が吹いてパンツが見えたのも。

原作では後になって忍野メメが阿良々木に対して、羽川は「危う過ぎる」と感想を述べている。「猫物語」への布石程度にしか思っていなかったのだが、それ以上の意味があるのかもしれない。だから阿良々木が後に戦場ヶ原を恋人に選んだのは結果として正しかった(幸せだった)のかもしれない。流れからいくと羽川になってもおかしくないハズなのだが。



<ひたすら可愛いキスショット>
原作だとキスショットは10歳ぐらいの少女という設定だが、「物語」史上(おそらく)最強の可愛さだ。少女のキスショットは実に表情が豊かで、退屈そうに足をブラブラさせたり、「キスショット」と呼ばれてまんざらでもない顔をしたり、頭をなでなでされて喜ぶ描写など、とても細かくて見事だった。

しかしこれらのキスショットの描写が、宣伝やCMで一切使われないのには、何か戦略があるのかもしれない。ポスターのキスショット(少し怒ったような前髪パッツン少女)も、正直あまり可愛いとはいえないし。「今回はロリ要素で攻めてはいませんよ」といった制作陣の意思の表われなのだろうか。


<忍野メメってこんなにカッコよかったっけ?>
TV版から一番化けたキャラはたぶん、忍野メメだろう。「化物語」の忍野も充分カッコよかったんだけど、今回はもっと力強くて、ツンツンしている。もともと阿良々木は忍野を嫌悪している設定なんだけど、チャラさと時折みせる彼の底力が、劇場版ではよく描かれていた。「この人を信じていいのか?」と疑う阿良々木と、すでに彼の実力を見抜いているキスショットを前に、つかず離れずの距離感で交渉を持ち込む忍野の不気味さと凄み。

「じゃ、決っまり~。はっはー。まいどあり~なんつって」と原作では読み飛ばしそうなくらい短い言葉なんだけど、劇場版のラストにあのように演じた声優・櫻井孝宏さんの演技の素晴らしさにはため息が出る。


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以上が劇場版「傷物語 Ⅰ鉄血篇」を見て特に印象に残ったことだが、私自身これは3部作でちょうどよかったのではと思う。最初は2部構成にできないものかと思ったりもしたが、阿良々木暦が人間を捨てるシーンも重要だし、忍野メメという後の「物語」シリーズに尾を引く伝説的な存在の最初の登場も重要だから、それらが丁寧に描かれていた点で満足だった。キスショットにおいても同様で、TV版に今後登場する忍ちゃんからは想像できないくらいのパワフルな吸血鬼だった。実際、「まよいキョンシー」あたりで別の時間軸のキスショットがTV放送で描かれたけど、怪異の王の凄みにおいては今回の劇場版には遠く及ばない。


「傷物語」の最後「冷血篇」は、きっと号泣できるはずである。となると第2部(熱血篇)はバトル中心になるのかもしれない。3人の吸血鬼殺しとの決闘は、第2部にすべて押し込められるのか。放送できない(グロい)映像表現もありそう。


羽川翼の今後の描かれ方にも注目したい。第3部で果たして羽川をどうやって位置づけるのか。原作者(西尾維新)も新房監督もインタビューでそれぞれ述べていたが、羽川翼の立ち位置というのは難しく、永遠のテーマに近いものらしいので、これから劇場版に新しい解釈を入れてくるか期待したいところである。<了>


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